About 2007年09月

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2007年09月 アーカイブ

2007年09月01日

経営の最適化を考えるOptimization着想の源流①

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21世紀に入って人類は果てしない技術革新の道を驀進しています。もちろん Al Gore(Clinton政権の副大統領)が言い切ったように、それは言うまでもなく「Digital革命」です。最先端技術の進歩は留まるところを知りません。 そして私たちの生活のDigital化が急速に進行しています。

しかしその最先端技術を使ってどう生活を改善するのか、経営をより効率のいいものにして楽しく安全で豊かな会社にしてゆくのか、という課題は、技術を使う、私たち一人ひとりの人間の側にあります。それを私は「Optimization」というコンセプトで考えています。

テクノロジー、とりわけ身近なコンピュータの世界では最先端技術開発とその社会への応用~Digital化は日米そして欧州が先頭を行き、鎬を削っています。中国、台湾、韓国、インドといった国々も日米欧をCatch upすべく、熾烈な競争を展開しています。

そして2007年7月17日、私は太平洋を超えてCaliforniaへ向かいました。学生時代にSan Joseの大学に留学した時、初めて太平洋を飛んで以来、Sony Corp. of Americaの駐在時代も含めて何度、太平洋を越えたことでしょう。

決して気負いがあったわけではありませんが、やはりアメリカという社会がいつも孕んでいる新しいものを作り上げる力への期待感が溢れます。Flight Attendantが行き交う機内では映画を見ながら食事を摂り、食後は音楽を楽しみますと心地よい旋律が快い眠りを誘います。そんな時。

遠い昔を思い出すことって、あるでしょう。真っ赤な太陽が地平線に沈む、その紅の陽光が迫る夕闇とともに大陸の風を呼び込みます。中国・東北地方(旧満州)で私の父は通信技術者としてインフラの整備に従事していました。そんな異郷の地で私は生まれました。

1943年、瀋陽(旧奉天)。すでに日米開戦で中国大陸、とくに東北地方は緊張の下にありました。通信基盤整備という父の仕事は政府や軍、鉄道など経済活動はもとより人々の生活全般に重要な施設です。いずれ父の満州体験について詳しく語りたいと考えています。

会社の生い立ちの原点が中国にあり、私が学生時代、アメリカで学んだという事実は、私が語ろうとしている「Optimization」というコンセプトと陰に陽に関係があるように思います。

2007年09月10日

経営の最適化を考えるOptimization着想の源流②

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私のAmerica体験は、留学生時代にCaliforniaのSan Jose State Universityに2年、Sonyの駐在員としてNew Yorkに7年、住んでいました。San Jose は今ではシリコンバレーの中心ですが、当時は果樹園に覆われた人口30万人の一地方都市でした。 New Yorkは今も昔も美しさと醜さが混在となった強烈に活力のある街で我々に這い上がる根性を教えてくれます。

学生時代はアルバイトとビジネスの勉強と柔道に明け暮れる日々でしたから、あまりAmerica社会の観察とか都市観といったことに関心は薄く、ビジネス駐在員としてNew Yorkに住み、仕事をして初めてアメリカという国、社会、アメリカ人が少しづつ分かってきたように思います。

2007年3月21日、New York日本商工会議所主催のセミナーがManhattanの日本クラブで開かれました。私は講師として招かれ、そこでOptimization 経営について話す機会をいただきました。日本人ビジネスマンが約40人参加して関心は高かったと思います。

日本クラブは1905年、タカジャースターゼの発明者、高峰譲吉博士が初代会長を努めたNY在住日本人のPrivate Clubです。野口英世博士もメンバーでした。1991年6月12日、Manhattanの57丁目に地上21階建てのタワーを建設、日本人の社交の場となっています。

New Yorkは毎年訪問しますので珍しくはないのですが、名門の日本クラブで話す機会をいただいたことはOptimization 経営を実践してきた私としては光栄でした。しかもNew Yorkは世界の中心的な存在であり、同時に日本企業にとっては海外の最重要拠点です。

在米日本企業の経営者は本社の役員である人が多く、日米ビジネス関係では本社直轄、切っても切れない緊密な関係と言ってもいいと思います。各国の株価に連動するウオール街の動向は世界経済と日米経済に決定的な影響をもたらす、という意味で経営トップが注目しています。

私のプレゼンテーションに高い関心が寄せられたのは事実ですが、テーマを「今、改めて世界が見直す日本型経営の再確認」としたため、皆さんの関心がOptimizationより、日本型経営のあり方に偏ってしまい、Optimization 経営から逸れてしまった気がします。

5年以上かけて自社開発してきたシステムだけに自信はありますが、経営のプラットフォームとしてのOptimization Wareをさらに先行的で優れたものにするため、さらに精緻にBlush upしてゆく必要があります。そのため多くの経営者に話を聞いて、ご批判やアドバイスいただける事は本当にありがたいことです。

そこで次のステップを模索しました。在米日本企業が集中しているCalifornia州、とりわけLos Angelesという街に注目したのです。LAは在米日本企業の、もう一つの拠点です。しかし私は西海岸には人脈も土地勘もなく、さてどうしたらいいものか、考え込んでSilicon valleyで人材のビジネスをしている知己のY氏に相談しました。

2007年09月18日

経営の最適化を考えるOptimization着想の源流③

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Los AngelesはNew Yorkとは対照的な都市です。人口ではNew Yorkが一番、Los Angelesが二番で、多人種都市であることは同じですが、New YorkがEurope向いているのと反対にLos Angelesはアジアに関心があります。しかもアメリカのアジア化が始まっています。

East RiverとHudson Riverに挟まれた狭い中州のManhattan、天空を遮る摩天楼のNew Yorkは東京に似ていると言えるかも知れません。夏は暑いし冬は凍えます。地下鉄とYellow Cabが主なNew Yorkの交通手段ですが、Los Angelesは完全な車社会、平面的で、だだっ広く、幅広いフリーウエイが縦横に走っている大都市です。砂漠性気候で年中、空気が乾いてさらさら、暮らしやすいのです。

全米の人口は増え続け2006年、3億人を超えました。2000年CensusによるとAsiansは1300万人超、全米人口の5%ですが、California州では11%。しかもAsiaからの移民は今後、ますます増えるばかりです。AmericaのAsia化はLos Angelesで始まっているのです。

トップはChinese242万2970人で23.8%、つぎにFilipinosが186万4120人(18.3%)、3番目がAsian Indian(American Indianと区別するためインド人を英語でこう表現します)164万5510人(16.2%)、4位Vietnamese111万207人(10.9%)、Koreansが5位で107万2662人(10.5%)という順です。

わがJapaneseは79万5051人で7.8%、第6位です。その大半が日系アメリカ人です。AmericaのAsia化がCaliforniaで始まっている、という事実は大変、重要な意味があります。Americaという国、Californiaという州こそデジタル革命の聖地です。その中心がSilicon Valleyですが、これについては改めて書くつもりです。

Optimization 経営を考える場合、Asians(アジア人)の存在はAmericaに限らず日本でも大変大きな意味を持ってくるでしょう。Silicon ValleyはIC(Integrate Circuit、集積回路)のメッカですが、Another IC(もう一つのIC)という言葉があります。Indian & Chineseのこと、インド人と中国人がAmericaのIT産業を下支えしているのです。

Los Angelesの日本人や在米の日本企業の経営者が直面している様々な問題を解くキイワードがOptimization 経営である、と考えています。それを実証してゆくには現場に行って、実際に経営に携わっている日本人と膝を交えて話し合うことだと思います。

5月17日、私は再びOptimization 経営を担当しているスタッフと機上の人となり、Los Angelesへ向かいました。18日Little Tokyoのホテルで昼食会があり、そこに34人の日本人が集まって、私のOptimization 経営の話を聞いてくれました。

日本食品の輸出入ビジネスやハリウッドの映画会社でDVDを日本へ販売している経営者、JIETROの駐在員、ビジネス・コンサルタント、日系ホテルの総支配人、弁護士、公認会計士ら豪華な顔ぶれでしたが、New Yorkより、はるかに臨場感溢れる講演となりました。質疑応答も予期しないほど厳しく、徹底してOptimization の意味を探り、経営に導入した場合の疑問点などを指摘してくれました。海外でビジネスをやっている日本人の緊張感がひしひしと伝わってくる迫力に私自身、圧倒されるような雰囲気でした。

2007年09月24日

経営の最適化を考えるOptimization着想の源流④

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私が招かれたロサンゼルスの昼食会は日本語テレビ番組を制作、放送しているジャーナリストのK氏が主宰、毎月、例会を開いていてすでに10年になるそうです。昼食を食べながらLAの日本人同士の情報交換と交流を兼ねた気楽な集まりで、外交官や政治家、大学教授、新聞社・テレビ局の特派員、作家、法律家らオピニオン・リーダーが時宜を得た話題を提供して、相互に議論してきました。

ゲスト・スピーカーとして私は「経営の最適化を考えるOptimization」について話す機会を与えられたことは幸いでした。でもお会いする方々は初めての人ばかりです。三技協についても、また「Optimization 経営」についてもほとんどご存じない方ばかりです。

そこで、まず三技協で制作した10分ほどのビデオを見ていただきました。このビデオは「Optimization Company」を自認する三技協という会社、「なぜ今、Optimization なのか」を分かりやすくまとめてあり、私の考えと三技協の実践を説明したものです。

三技協は情報通信のインフラ構築、メンテナンス、情報通信機器の製造、販売をビジネスとする会社で、この10数年、携帯電話の急激な普及で急成長しました。携帯電話会社は基地局をどんどん新設してゆくので、そうした工事の受注が増え、ほんとうに忙しかった。

もちろん市場が拡大している時は売り上げも急伸します。わが社は市場ニーズに受身で、黙々と仕事をこなしてゆけば良かった。受注した基地局の建設、技術サービスをきちんとやれば売り上げは上がり、順調に利益もでました。時代の波に乗って増収増益が見込めたのです。

ところが1990年も後半に入るとモバイル電話業界に変化が起きました。インフラが整い始めてくると、新規発注の仕事が急に減ってきました。そして受注できる業務内容はメンテナンスや調整作業に集中して、大きな予算の新規建設がありません。当然のように売り上げが落ちてきました。でも増やした人員は簡単に減らせません。

1999年、ついに赤字転落となりました。そこで「減収増益」ができないか。そんなことが簡単にできない、大変、難しいことは分かっています。しかしそれができないと会社に明日はありません。ここで私は収益構造を変えなければダメだ、と考えてみたのです。

技術サービスというビジネスの性格から経費の大半を占めるのは技術者の人件費です。サービスの質を落とさないためには技術者の人員を減らすことは罷りなりません。とすれば現場の作業効率を上げるために何ができるか。そこで私は現場の作業内容を細かく分析してみました。技術にはいろんな段階があります。

入社早々の若い社員は当然、技術力がありません。彼らは社の先輩である上級者から仕事を学び、少しずつ向上してゆきます。教育、研修、訓練、実施というプロセスを経て、初めてサービスの対価としての売り上げを上げることができる。例えば基地局のアンテナの柱を立てるときのボルトとナットを締める、という簡単な作業一つとっても先輩から教えてもらうことになります。

そこで作業内容を誰にでも「見える」ように可視化を考えたのです。これを私は分かりやすく「見える化」と名づけました。経営も管理も作業現場も社員全員がどんな作業も「見える」ようにしよう。そうすれば初級の技術しかない者でも簡単に自分自身で技術を磨くことができるようになるはずです。

そこで「技術マニュアル」をwebに載せる、Cyber Manual化を考えてみたのです。これがわが社・三技協の誇る「CM(Cyber Manual)」です。これを完成させるのにほぼ約3年かかりました。と言っても今もなお未完成で日々、改良、改善を現場で加えています。

これは「個の知識」を「集団で共有化」しようという試みです。CMに載せたFile(文書)は10,000ページに上りました。しかもこのCMに社員が誰でもいつでもどこからでも簡単に書き込めるようにしたのです。このCMがOptimization Companyのスタートとなりました。