About 2008年03月

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2008年03月04日

No21 経営の最適化を考えるOptimization 「部分最適」と「全体最適」⑩

民主党のオバマ候補が出馬当初から本命と見られていた知名度抜群のヒラリー候補を抜いてトップに躍り出ました。2月5日のスーパー・チューズデー以降、首都・ワシントンDCはじめウィスコンシン州、ハワイ州と勝ち進み、2月22日現在、9連勝しました。出身地ハワイ州では得票率76%とヒラリーの24%を断然、引き離し、世界中の視線が若い黒人の大統領候補に注がれています。

「オバマ氏」と「小浜市」~日本海に面した福井県の人口3万人の地方都市が、あっと言う間に国際的な知名度を得ました。名前が同音というだけで小浜市にオバマ応援団が生まれたことを面白がって続々と海外から取材陣が小浜市入りしています。

世界が注目する08年米国大統領選挙の一風景、オバマ・ブームにあやかろうという小浜市長や市民の魂胆は見え見えでしょうが、この珍現象、Optimization 経営のヒントになると私は見ています。日本のオバマ騒動の経過を簡単にふり返ってみます。

イリノイ州選出のオバマ上院議員は2006年12月に訪日しました。空港で入国する際に入国審査官が「OBAMA」の名前を見て、「私はOBAMA出身です」と一言、ジョークを言った。これが発端でした。日本に「OBAMAという自分と同じ名のCityがある」事をオバマ本人が知りました。

アメリカに帰ったオバマ議員はラジオでこのことをしゃべったら日本人の大学教授が聞いて、小浜市長宛てにメールをしたのです。村上利夫市長はすぐ手紙を添えた特産の「若狭塗箸」をオバマ氏に送った。オバマ饅頭や「アイ・ラヴ・OBAMA」のTシャツが売りに出された。海外メディアが報道したことで、一躍、小浜市は国際的に知られるようになりました。ハワイの党員集会でも小浜市のことが話題になったそうです。

たった一言のジョークがきっかけとなり、情報が一瞬にしてグローバルに駆け巡るインターネットが米国大統領選挙と福井県小浜市を結び付けました。しかもこの繋がりが大きな政治的意味を持つことになるかも知れません。

小浜市は北朝鮮に拉致された地村保志、富貴恵さん夫妻の郷里です。もしオバマ当選となったら「小浜市」とホワイハウスの結びつきはさらに確固たるものとなって、米国大統領の拉致問題に対する認識もぐんと深まるでしょう。

今日(3月4日)のテキサス、オハイオ両洲の予備選挙日にはCNNの取材スタッフが小浜市入りして全米生中継をやるという情報もあります。インターネットはこんなところでも思わぬ展開を見せ、それが社会現象や政治にも影響してくるという事実、経営発想も従来型から抜け出る必要があろうかと思います。


2008年03月06日

No.22 経営の最適化を考えるOptimization  デジタル文明の始まり①

08年米国大統領選挙という一見、本Blogのテーマとなんの関係もないアメリカの政治と日本の地方都市の名前が、同音ということだけで急接近した。インターネットの仕業です。以前には決して起こりえなかっただろう事象が社会を、時代をどんどん変えてゆきます。

これが現在進行中のデジタル革命です。私は人類史的に見て新しい“デジタル文明の始まり”とさえ言えるのではないかと思っています。公的機関も私企業も近年、流行のNPOもOptimizationを意識し、組織を円滑に運営してゆくために近い将来、わが社で実践しているようなOptimization-Wareを導入するときが必ず来ます。

福井県小浜市で突如起こった“オバマ現象”を笑い話で済ませてしまうのか。いや、これは新しい社会現象だ、と捉えるかは研ぎ澄まされた時代感覚の差です。オバマ現象は長崎県雲仙市でも起きました。小浜温泉です。それを週刊誌が小浜市と一緒にグラビヤで取り上げたのです。二つの“オバマ”の町は大統領選にあやかり町の宣伝に役立ちました。

「小浜温泉は、熱量、温度ともに全国1位を誇る。温泉街の名物は海鮮具材とあっさりスープが特徴の『小浜ちゃんぽん』」と『週刊ポスト』(3月14日号)が書き、観光協会に投票箱が設置され、街の19ヶ所でオバマ候補への応援の募金箱が置かれている、と紹介した。宣伝費としたらおそらく1000万円以上の価値があるでしょう。

冒頭、“デジタル文明の始まり”と大上段に振りかざしましたが、経営者はこうした社会に起きている新しい現象に敏感であるべきではないかと考えています。私が推進していますOptimization経営とは企業活動のあらゆる分野で「最適化」を考え、意識的に経営に取り入れてゆこうという呼びかけなのです。

またまた宣伝か、と言われるようで恐縮ですが、昨秋、出版した『社員の「1行報告」が会社を変える』(かんき出版)に書いた「経営の最適化」とはまさに到来したデジタル社会へ企業経営はいかにあるべきか、を模索している私自身への問いかけでもありました。

出版の反響は想像以上に大きく、しかもかなり好意的な反応でした。新年に入ると友人や知人が出版記念パーティをやろう、と言い出しました。そんな事、気恥ずかしいから止めてくれ、と最初、尻込みしていたのですが、「本を書き世に問う、ということはわれわれプロのモノ書きにとっても大事業なのです。取り分け処女出版は本を書いた本人が誰よりも嬉しいし、周囲の受け止め方も違ってきますよ」というジャーナリストのアドバイスを素直に受け止めることにしました。

高校のクラスメートだった島田晴雄・千葉商科大学学長や日ごろから親しくしていただいてる米倉誠一郎・一ツ橋大学教授らが発起人となってくださり、<仙石通泰著『社員の「1行報告」が会社を変える』出版を祝う夕べ>は2月26日夜、外国特派員クラブで開催の運びとなりました。
今回の画像は、お出でくださりました江田五月参議院議長と友人の島田晴雄学長です。

2008年03月24日

No.23 経営の最適化を考えるOptimization  デジタル文明の始まり②

出版記念パーティが2月26日になったのは、その日しか会場が空いていなかった、という単純な理由ですが、72年前のこの日に革新派青年将校によるクーデタがありましたね。その226事件とは何の関係もありませんが、ただ歴史は予期しない展開を見せます。経営の最適化とはデジタル革命と切っても切り離せません。いわば経営革命なのです。

このパーティは私にとって忘れられない夜となりました。ことの是非は別として正義感に燃えた若い将校たちが政治家と財閥の癒着、腐敗や深刻な不況に手を拱いていた重臣を非難し激しく変革を求めたことは否定できない事実でしょう。今の日本もまた出口なしの不透明な状況でデジタル革命が音もなく急速に進行し、変革を求めているのです。

「地味にしてね」という私の気持ちを発起人や準備の人たちに話していたつもりですが、当日は予期しなかった人々から豪華な花輪がどっさり会場に届き、いやがうえにも華やいだ雰囲気に包まれました。ロス五輪で金メダルに輝いた山下泰裕さんからの花はお出でくださった方々によく見えるように会場入り口に飾りました。

三技協の社員も初めての体験に心もち緊張している様子でした。島田(晴雄・千葉商科大学学長。同期の誼で呼び捨てをお許しください)と話し込んでいるところへ参議院議長・江田五月さんがお見えになりました。国権の最高機関の長が顔を見せてくださったのには訳があります。

三技協の創業者、私の父が江田議長のお父さん、日本社会党を指導した江田三郎先生と昵懇でした。その縁で江田三郎先生は私の結婚式に顔を見せてくださり、来賓として祝辞をいただいたのです。そして昨年10月12日、東京のホテルで「江田三郎没後30年・生誕100年を記念する集い」が開かれたとき、私も参列させていただきました。

江田議長は島田に会うといきなり歓談を始めたのです。旧知の仲でした。人の縁と絆を改めて実感しました。この日、江田議長は外国要人の歓迎祝賀会が議長公邸で開かれそのホスト役なのに、秒を刻むような多忙な中、お祝いに駆けつけてくださったのは感激でした。パーティには165人が参加、会場は超満員となり、活気溢れ和やかな雰囲気で進行しました。

島田とは慶応高校時代、私の名「通泰(みちやす)」を「ツウタイ」と音読みにする仲です。同期の中では誰をも寄せ付けないダントツの秀才で、しかも冷静、観察力の鋭い男でした。絵を描かせば天才です。私は劣等生ながら不良仲間を率いて威張っていました。秀才と不良が結構仲良しで、その島田が発起人代表として挨拶してくれたのですが・・・。