About 2008年09月

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2008年09月02日

仙石通泰ブログ29 Optimization 経営を考える「文明が飛躍する時」③

残暑お見舞い申し上げます。 関東地方は、7月に入って真夏日が長く続き、取り分け暑い月でした。このBlogを書いております9月に入りまして、ようやく暑い日差しの日となりましたが、8月半ばからは今までと異なり、豪雨を伴う異常な気象現象が続きました。私達 経営者には、学生のような夏休みは難しいのですが、子供達には楽しみな夏に災禍が続いたことに心が痛みます。

本Blogが夏休み状態になっていたことをお詫びします。前回(28回)、中国の精華大学、華東師範大学と日本危機管理学会の共催で開かれた日中交流セミナー「組織運営と危機管理」でOptimization 経営について報告したことを書きました。

ちょうど四川省大地震が発生した直後に北京空港に着陸し、中国は非常事態でした。テーマからしてまさに時宜を得たセミナーとなり、生々しい被害の状況が話題となり、危機管理をめぐって中国政府の対応などが期せずして論議されたことは前回、書きました。

中国という国について考えます。史上最多の204カ国・地域の選手・役員1万6000人が参加した第29回近代オリンピック夏季大会が8月8日から24日の閉会式まで北京で開かれました。17日間のスポーツの祭典、世界のアスリートたちがスピードと技と美と体力を競いました。国家体育場で開かれた開会式、閉会式とも豪華、多彩な演出で華やかに彩られました。

心配されたテロも無く、国家の威信を賭けた北京五輪は大成功と言えるでしょう。チベット問題やデモ抑圧など自由と人権をめぐる政治に対する批判はありましたが、これは本Blogの趣旨に逸れそうなので別の機会に述べたいと思います。

大会で中国が獲得した金メダルは51個と五輪史上、最も多く、アメリカの36個をしのいで世界一となりました。政治大国であった中国が経済発展し、スポーツ大国となった現実は中国という国の変貌を物語る上で重要ではないかと考えます。

興奮の余波は覚めやらず、北京大会の成功で中国は自信を深め、さらなる発展に邁進するでしょう。世界は中国の動向に目が離せなくなっています。そして日本やアメリカと中国との経済関係はさらに緊密化するでしょう。チャイナ・パワーを実感した大会でした。

なにしろ中国文明は3000年余の歴史を有し、人口は13億人を超える世界最大の国です。日本との関係で言えば近代中国革命の父と呼ばれる孫文や文学者・魯迅は内乱期に日本へ亡命していたことがあります。毛沢東の共産革命の指導者、周恩来も日本に留学していました。

日本は古代から中国文明の影響を受け、近代日本になって不幸な戦争の歴史がありましたが、どの国よりも長く緊密な関係を続けてきたのです。その中国がいま、大きく変貌を遂げようとしています。その歴史のターニング・ポイントが今回の北京五輪ではなかったか、と考えています。

政治的にはいろいろ解決を迫られる問題を抱えながら中国もまたOptimization (最適化)を真剣に模索する時期を迎えています。危機管理セミナーで報告した私のOptimization 経営の理論と実践に、これまでのどのセミナーよりも真剣なまなざしと熱意を感じたことを改めて強調しておきます。

北京や上海の変貌を眺め、中国という大国を考えると遠くに巨大な地鳴りを聞くような、歴史の変化の響きを実感します。それは文明が飛躍する瞬間なのではないか、と私は考えてみました。

*画像は5月に訪れた北京国家体育場(鳥の巣)です。当時、周辺部の土木工事等はまだまだの状態でしたが、一ヶ月半後には正式に竣工しています。

仙石通泰ブログ30 Optimization 経営を考える「文明が飛躍する時」④

8月12日、ロサンゼルスで日本語テレビ・JATV主催のシンポジウムに招かれ、Optimization 経営について問題提起する機会を得ました。ロスには昨年2度行き、現地の日本企業経営者やビジネスマンらと議論したことは本Blogの冒頭に書きました。今回はシンポジウム形式で私が基調報告を行い、パネリストと参加者が議論しました。

ロスの日系ビジネス社会は、お盆前の夏季休暇ムード一色でしたが、にもかかわらず50名の経営者やビジネスマン、政府関係者らが集まり活発な討論となりました。パネリストに私とロナルド・モース博士(三技協取締役)、アーバインでソフト開発をしている山口裕久氏の3人で、Optimization というコンセプトとその可能性についてそれぞれの見解を述べました。

すでに何度も書いてきたとおり、これからの経営、取り分けグローバル化が進行している国際経済社会で企業がサバイバルしてゆくには「知の共有」による部分最適と「個人知」を「集団知」に蓄積し、「見える化」を図ることで、全体最適を促進してゆくことがキイワードであることをDVDとパワーポイントで説明しました。

社員一人ひとりの多機能化についても例をだして説明しました。会社の文書、内部情報伝達、研修、経理処理、問題発生の現場報告、その処理方法、自己研鑽の方法や結果などをすべてウエブに載せ、従業員なら誰でもアクセスできるようにしたのがCM(Cyber Manual)であることは既述しました。そしてこのCMとPBT(Performance Break Through)を使って、問題提起→問題の解析→再設計による最適化提案へ社員自身が取り組みます。

モース博士や山口さんは私のOptimization 経営について、それを理論化して普遍的な経営論となる可能性について具体的に指摘してくれました。私の問題提起とパネリストのコメントが終わると後半は会場の参加者との質疑応答です。

やはり集中した質問は「Optimization 経営は分かったが、実際にそれを導入すると従業員の中にはついてゆけない者がでてくるでしょう。組織は分裂してしまわないか。社員の反発は無かったのか」という点です。私は「反発はあったし、辞めてゆく者もいました。それは会社の体質を変えてゆくとき、避けることができない問題です。しかし反抗勢力にはPositiveな反抗とNegativeな反抗があると思います、企業では先者は大切にしなければなりません。そこにOptimization 経営の意味があるのです」と応えた。

さらに質問が出たのは「暗黙知」のOptimization化です。例えば職人的な技は、言葉で説明するのは難しいし、まして「見える化」は至難です。高度の技は職人の長い経験から身についた個人の人格内部に備わるもので、それを他人に見えるようにすることができません。

私はその指摘をもっともだと思います。私が強調している「集団知による見える化」とは業務の80%でよしとして、100%ではありません。職人的な洗練された技を要する部分は高度な技を持っている人に任せれば良いのであって、全部、「見える化」を実現できなくてもいいではありませんか。しかし個人の内側に在る感情や芸術的表現などは移転できませんが、技術の殆どが「見える化」が実現できます。このようにOptimization 経営を進めることは、非常に現実的なことなのです。

*画像は、LAで出演させて頂いた「ブリッジUSAラジオステーション-加賀崎 雅子の「ニュースまったなし!」での収録シーンです。加賀崎さんには今回のシンポジウムの話題も放送して頂き、その番組を聞かれて御来場頂いた方もいらっしゃいました。

2008年09月25日

仙石通泰ブログ31 Optimization 経営を考える「文明が飛躍する時」⑤

LAでのシンポジウムの翌日、サンフランシスコへ飛びました。主宰者のジャーナリストが「Googleキャンパスを覗きに行きませんか」という誘いに乗ったのです。新社屋建設のレイアウトが話題になった時、Google Campusは一見の価値がある、というのです。

もちろん誰でもキャンパス内に入れるわけではありません。GoogleはMountain Viewというシリコンバレーのど真ん中に位置する町にあり、ビルだけで10数棟もあります。Amphitheatre Parkwayという通りを走るとGoogleのロゴが張り付いたビルだらけです。

どのドアも電子的にロックされていますからGoogleのスタッフを訪ねる、ということでないと内部に立ち入ることはできません。いま、もっとも革新的、先鋭的と言えるシリコンバレーの中心地に勃興したIT企業Googleのキャンパスはもう驚嘆の連続でした。

24時間、いつ出社しても退社も従業員の勝手です。勤務時間は自由で、従業員個人が決めます。構内20箇所のレストランで1日3食すべてタダ、食べ放題。ドリンクやフルーツはどこにも置いてありもちろん無料です。オフィスは、まるで遊戯場の雰囲気でした。

仕事に飽きたらビーチバレーもできるしフィットネス・ルームに行って体を鍛えてもいい。実際、ビーチバレーで遊んでいた場に創業者のひとりがいました。Googleの創業者はLawrence Larry PageとSergey Brinと言い、二人ともスタンフォード大学の同級生で、1973年の生まれですから35歳と若い。

それがGoogleのキャンパスでした。構内をガイドしてくれたN君は29歳で、200人のグループ・リーダーです。アイビー・リーグの一つ、M大学のコンピューター・サイエンスを卒業してマイクロ・ソフトに入社。シアトルの本社でソフト開発のSEとしてスタートを切ったのですが、2004年Googleに移ったそうです。

N君が入った2004年はGoogleが株式を公開した年でした。本社キャンパスには800人くらい。それが今では1万人(全世界ベースで2万人)。スタッフの80%がPh.D.(哲学博士)か、MBA(経営学修士)取得者だそうです。米国はもとより世界の頭脳が集まっています。

ロシア人、インド人、中国人、韓国人など多人種多様社会ですが、日本人は極端に少ない。正確な数字は企業秘密ですが二桁の下の方。「日本人は英語が話せない人が多いから採用されません。それにソフトの開発能力や技術力のレベルが低いのです」と意外な評価でした。

20代で年収20~30万ドル(2000万~3000万円)がいて、しかも責任の重さによってストック・オプションがあります。Googleの株価は公開時して2年3か月で6倍になったからシリコンバレーの高級住宅地に豪華マンションを買い、自動車はベンツかBMWが多い。

まるでシンデレラ物語の現代版の様相ですが、もちろんGoogleが順風満帆というわけではありません。最近に株価は下がり気味、従業員の食事をタダ、というのを見直す、という記事を見ました。