歴史的に農業社会において全体最適は為政者によって描かれました。その為政者を助けるために素朴な信仰が体系化された宗教となり、思想が哲学として昇華したのです。世の中のあらゆる部分最適は倫理に叶うことで成立し、人々に生き甲斐を与えたのです。
倫理は自然を対象に発生する範囲に存在したので尋常に部分最適を努めることには大きな障害が発生しなかった。国に忠誠を尽くすこと、親や家族を大切に思うこと、年長者を敬うこと、等々が真面目に仕事をする事や「足ルヲ知ル」といった教訓にも人々の間で抵抗がなかったと思います。
約200年間におよぶ近代工業社会の到来で富は急激に増大しましたが、同時に人間社会に多様多種で複雑な環境をもたらしました。それは社会の進化であり文化の発展となりましたが、20世紀終盤には伝統的な価値観が薄れ為政者は社会全体の成り立ちを描くことが難しくなってきました。
民衆もまた、これまでと同じように為政者の言いなりに生きることに納得しなくなりました。情報ソースを握ることで周囲より多くの利益を上げ、優位性を発生させることが解ると成功者とそうでない人々の間の不公平感が浮上してきたのです。
工業財(材)を活用することによって農業生産性が向上したように、情報機器の活用が工業製品の量も質も上げる結果をもたらしました。サプライチェーンの改善には情報機器の活用が大きな役割を果たして来ました。 さらに見える化が進むとバリューチェーンの改革が起こりました。 情報社会においての成功者は見える化の熟達企業であり、これが情報社会から知識社会に移行中の現在の工業生産の現実でしょう。
情報社会は冷戦時代の東西の壁を取り払うという重くて解決困難な人類の課題を消滅してしまいました。あらゆる情報は人々に簡単に入手可能になりました。また情報を秘匿する事が必ずしも優位性を構築することにはならない状況も現出してきました。
富の増大と移動、分配の手段についても国によって理解の差がほとんどなくなりました。しかもそれは国境の垣根を限りなく低くし、市場規模が急激にグローバルに拡大したが、市場に見合ったルールが設定される前に知識を持った人間が優位に立った事で世界的な大混乱が起こったのです。
