About Optimization着想の源流

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Optimization着想の源流 アーカイブ

2007年09月01日

経営の最適化を考えるOptimization着想の源流①

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21世紀に入って人類は果てしない技術革新の道を驀進しています。もちろん Al Gore(Clinton政権の副大統領)が言い切ったように、それは言うまでもなく「Digital革命」です。最先端技術の進歩は留まるところを知りません。 そして私たちの生活のDigital化が急速に進行しています。

しかしその最先端技術を使ってどう生活を改善するのか、経営をより効率のいいものにして楽しく安全で豊かな会社にしてゆくのか、という課題は、技術を使う、私たち一人ひとりの人間の側にあります。それを私は「Optimization」というコンセプトで考えています。

テクノロジー、とりわけ身近なコンピュータの世界では最先端技術開発とその社会への応用~Digital化は日米そして欧州が先頭を行き、鎬を削っています。中国、台湾、韓国、インドといった国々も日米欧をCatch upすべく、熾烈な競争を展開しています。

そして2007年7月17日、私は太平洋を超えてCaliforniaへ向かいました。学生時代にSan Joseの大学に留学した時、初めて太平洋を飛んで以来、Sony Corp. of Americaの駐在時代も含めて何度、太平洋を越えたことでしょう。

決して気負いがあったわけではありませんが、やはりアメリカという社会がいつも孕んでいる新しいものを作り上げる力への期待感が溢れます。Flight Attendantが行き交う機内では映画を見ながら食事を摂り、食後は音楽を楽しみますと心地よい旋律が快い眠りを誘います。そんな時。

遠い昔を思い出すことって、あるでしょう。真っ赤な太陽が地平線に沈む、その紅の陽光が迫る夕闇とともに大陸の風を呼び込みます。中国・東北地方(旧満州)で私の父は通信技術者としてインフラの整備に従事していました。そんな異郷の地で私は生まれました。

1943年、瀋陽(旧奉天)。すでに日米開戦で中国大陸、とくに東北地方は緊張の下にありました。通信基盤整備という父の仕事は政府や軍、鉄道など経済活動はもとより人々の生活全般に重要な施設です。いずれ父の満州体験について詳しく語りたいと考えています。

会社の生い立ちの原点が中国にあり、私が学生時代、アメリカで学んだという事実は、私が語ろうとしている「Optimization」というコンセプトと陰に陽に関係があるように思います。

2007年09月10日

経営の最適化を考えるOptimization着想の源流②

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私のAmerica体験は、留学生時代にCaliforniaのSan Jose State Universityに2年、Sonyの駐在員としてNew Yorkに7年、住んでいました。San Jose は今ではシリコンバレーの中心ですが、当時は果樹園に覆われた人口30万人の一地方都市でした。 New Yorkは今も昔も美しさと醜さが混在となった強烈に活力のある街で我々に這い上がる根性を教えてくれます。

学生時代はアルバイトとビジネスの勉強と柔道に明け暮れる日々でしたから、あまりAmerica社会の観察とか都市観といったことに関心は薄く、ビジネス駐在員としてNew Yorkに住み、仕事をして初めてアメリカという国、社会、アメリカ人が少しづつ分かってきたように思います。

2007年3月21日、New York日本商工会議所主催のセミナーがManhattanの日本クラブで開かれました。私は講師として招かれ、そこでOptimization 経営について話す機会をいただきました。日本人ビジネスマンが約40人参加して関心は高かったと思います。

日本クラブは1905年、タカジャースターゼの発明者、高峰譲吉博士が初代会長を努めたNY在住日本人のPrivate Clubです。野口英世博士もメンバーでした。1991年6月12日、Manhattanの57丁目に地上21階建てのタワーを建設、日本人の社交の場となっています。

New Yorkは毎年訪問しますので珍しくはないのですが、名門の日本クラブで話す機会をいただいたことはOptimization 経営を実践してきた私としては光栄でした。しかもNew Yorkは世界の中心的な存在であり、同時に日本企業にとっては海外の最重要拠点です。

在米日本企業の経営者は本社の役員である人が多く、日米ビジネス関係では本社直轄、切っても切れない緊密な関係と言ってもいいと思います。各国の株価に連動するウオール街の動向は世界経済と日米経済に決定的な影響をもたらす、という意味で経営トップが注目しています。

私のプレゼンテーションに高い関心が寄せられたのは事実ですが、テーマを「今、改めて世界が見直す日本型経営の再確認」としたため、皆さんの関心がOptimizationより、日本型経営のあり方に偏ってしまい、Optimization 経営から逸れてしまった気がします。

5年以上かけて自社開発してきたシステムだけに自信はありますが、経営のプラットフォームとしてのOptimization Wareをさらに先行的で優れたものにするため、さらに精緻にBlush upしてゆく必要があります。そのため多くの経営者に話を聞いて、ご批判やアドバイスいただける事は本当にありがたいことです。

そこで次のステップを模索しました。在米日本企業が集中しているCalifornia州、とりわけLos Angelesという街に注目したのです。LAは在米日本企業の、もう一つの拠点です。しかし私は西海岸には人脈も土地勘もなく、さてどうしたらいいものか、考え込んでSilicon valleyで人材のビジネスをしている知己のY氏に相談しました。

2007年09月18日

経営の最適化を考えるOptimization着想の源流③

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Los AngelesはNew Yorkとは対照的な都市です。人口ではNew Yorkが一番、Los Angelesが二番で、多人種都市であることは同じですが、New YorkがEurope向いているのと反対にLos Angelesはアジアに関心があります。しかもアメリカのアジア化が始まっています。

East RiverとHudson Riverに挟まれた狭い中州のManhattan、天空を遮る摩天楼のNew Yorkは東京に似ていると言えるかも知れません。夏は暑いし冬は凍えます。地下鉄とYellow Cabが主なNew Yorkの交通手段ですが、Los Angelesは完全な車社会、平面的で、だだっ広く、幅広いフリーウエイが縦横に走っている大都市です。砂漠性気候で年中、空気が乾いてさらさら、暮らしやすいのです。

全米の人口は増え続け2006年、3億人を超えました。2000年CensusによるとAsiansは1300万人超、全米人口の5%ですが、California州では11%。しかもAsiaからの移民は今後、ますます増えるばかりです。AmericaのAsia化はLos Angelesで始まっているのです。

トップはChinese242万2970人で23.8%、つぎにFilipinosが186万4120人(18.3%)、3番目がAsian Indian(American Indianと区別するためインド人を英語でこう表現します)164万5510人(16.2%)、4位Vietnamese111万207人(10.9%)、Koreansが5位で107万2662人(10.5%)という順です。

わがJapaneseは79万5051人で7.8%、第6位です。その大半が日系アメリカ人です。AmericaのAsia化がCaliforniaで始まっている、という事実は大変、重要な意味があります。Americaという国、Californiaという州こそデジタル革命の聖地です。その中心がSilicon Valleyですが、これについては改めて書くつもりです。

Optimization 経営を考える場合、Asians(アジア人)の存在はAmericaに限らず日本でも大変大きな意味を持ってくるでしょう。Silicon ValleyはIC(Integrate Circuit、集積回路)のメッカですが、Another IC(もう一つのIC)という言葉があります。Indian & Chineseのこと、インド人と中国人がAmericaのIT産業を下支えしているのです。

Los Angelesの日本人や在米の日本企業の経営者が直面している様々な問題を解くキイワードがOptimization 経営である、と考えています。それを実証してゆくには現場に行って、実際に経営に携わっている日本人と膝を交えて話し合うことだと思います。

5月17日、私は再びOptimization 経営を担当しているスタッフと機上の人となり、Los Angelesへ向かいました。18日Little Tokyoのホテルで昼食会があり、そこに34人の日本人が集まって、私のOptimization 経営の話を聞いてくれました。

日本食品の輸出入ビジネスやハリウッドの映画会社でDVDを日本へ販売している経営者、JIETROの駐在員、ビジネス・コンサルタント、日系ホテルの総支配人、弁護士、公認会計士ら豪華な顔ぶれでしたが、New Yorkより、はるかに臨場感溢れる講演となりました。質疑応答も予期しないほど厳しく、徹底してOptimization の意味を探り、経営に導入した場合の疑問点などを指摘してくれました。海外でビジネスをやっている日本人の緊張感がひしひしと伝わってくる迫力に私自身、圧倒されるような雰囲気でした。

2007年09月24日

経営の最適化を考えるOptimization着想の源流④

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私が招かれたロサンゼルスの昼食会は日本語テレビ番組を制作、放送しているジャーナリストのK氏が主宰、毎月、例会を開いていてすでに10年になるそうです。昼食を食べながらLAの日本人同士の情報交換と交流を兼ねた気楽な集まりで、外交官や政治家、大学教授、新聞社・テレビ局の特派員、作家、法律家らオピニオン・リーダーが時宜を得た話題を提供して、相互に議論してきました。

ゲスト・スピーカーとして私は「経営の最適化を考えるOptimization」について話す機会を与えられたことは幸いでした。でもお会いする方々は初めての人ばかりです。三技協についても、また「Optimization 経営」についてもほとんどご存じない方ばかりです。

そこで、まず三技協で制作した10分ほどのビデオを見ていただきました。このビデオは「Optimization Company」を自認する三技協という会社、「なぜ今、Optimization なのか」を分かりやすくまとめてあり、私の考えと三技協の実践を説明したものです。

三技協は情報通信のインフラ構築、メンテナンス、情報通信機器の製造、販売をビジネスとする会社で、この10数年、携帯電話の急激な普及で急成長しました。携帯電話会社は基地局をどんどん新設してゆくので、そうした工事の受注が増え、ほんとうに忙しかった。

もちろん市場が拡大している時は売り上げも急伸します。わが社は市場ニーズに受身で、黙々と仕事をこなしてゆけば良かった。受注した基地局の建設、技術サービスをきちんとやれば売り上げは上がり、順調に利益もでました。時代の波に乗って増収増益が見込めたのです。

ところが1990年も後半に入るとモバイル電話業界に変化が起きました。インフラが整い始めてくると、新規発注の仕事が急に減ってきました。そして受注できる業務内容はメンテナンスや調整作業に集中して、大きな予算の新規建設がありません。当然のように売り上げが落ちてきました。でも増やした人員は簡単に減らせません。

1999年、ついに赤字転落となりました。そこで「減収増益」ができないか。そんなことが簡単にできない、大変、難しいことは分かっています。しかしそれができないと会社に明日はありません。ここで私は収益構造を変えなければダメだ、と考えてみたのです。

技術サービスというビジネスの性格から経費の大半を占めるのは技術者の人件費です。サービスの質を落とさないためには技術者の人員を減らすことは罷りなりません。とすれば現場の作業効率を上げるために何ができるか。そこで私は現場の作業内容を細かく分析してみました。技術にはいろんな段階があります。

入社早々の若い社員は当然、技術力がありません。彼らは社の先輩である上級者から仕事を学び、少しずつ向上してゆきます。教育、研修、訓練、実施というプロセスを経て、初めてサービスの対価としての売り上げを上げることができる。例えば基地局のアンテナの柱を立てるときのボルトとナットを締める、という簡単な作業一つとっても先輩から教えてもらうことになります。

そこで作業内容を誰にでも「見える」ように可視化を考えたのです。これを私は分かりやすく「見える化」と名づけました。経営も管理も作業現場も社員全員がどんな作業も「見える」ようにしよう。そうすれば初級の技術しかない者でも簡単に自分自身で技術を磨くことができるようになるはずです。

そこで「技術マニュアル」をwebに載せる、Cyber Manual化を考えてみたのです。これがわが社・三技協の誇る「CM(Cyber Manual)」です。これを完成させるのにほぼ約3年かかりました。と言っても今もなお未完成で日々、改良、改善を現場で加えています。

これは「個の知識」を「集団で共有化」しようという試みです。CMに載せたFile(文書)は10,000ページに上りました。しかもこのCMに社員が誰でもいつでもどこからでも簡単に書き込めるようにしたのです。このCMがOptimization Companyのスタートとなりました。

2007年10月01日

経営の最適化を考えるOptimization着想の源流⑤

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会社を経営するということの意味は、事業活動を通じて収益をあげること、儲けることだ、と考えている人が多いと思います。しかし実際に経営の立場に身を置いてみると企業は「儲ける」ことだけでは成り立たないことをひしひしと感じます。

ビジネスを円滑に効率よく進めるには会社を取り巻くビジネス環境~①Client(顧客)②Stock Holder(株主)③Employee(従業員)④Director(役員)⑤Community(地域社会)といった、いろんな立場の人々のことを考えねばなりません。そしてより質の高い、効率の良い作業環境を整えることが直接、間接に収益構造に関連してくるのです。

仕事の「見える化」をはかることで、作業現場を鳥瞰図的に見たり、あるいは作業手順を断面図として観察することができれば現場の問題点を抽出したり、各レベルの技術と知識を共有することができるようになります。そうすれば技術力の無い者も自分の技術をレベルアップすることができる。自己鍛錬が可能になるでしょう。

技術力のあるベテランは新人や後輩の教育、訓練に投じる時間を少なくすることができるようになります。そしてベテラン自身も自分の技術をさらにBlush upできる、他の技術を学び複数、受け持つことが可能になってゆきます。社員一人ひとりの多機能化です。

経営の最適化―Optimization Managementとはこうした発想で生まれました。なぜ、1999年に、三技協は赤字となったのか。まず、第一に「現状分析」して問題点を正確に把握する→次にその問題点を分析、検討する→そして業務内容の改善、向上をめざして仕事の手順や職場環境の再設計をするのです。

作業手順の見直しで問題点を発見、解決策をみんなで考え話し合う。何が作業の障壁となっているのか。問題点は何か。それをMeeting で具体的に出し合い、議論し、解析します。解決方法が見つかれば従来のやり方を変え、作業環境を改善することで作業効率を上げることができます。それを三技協ではPerformance Breakthrough(PBT)と呼んでいます。

PBTは三技協社内で自己開発し進化させた経営ノウハウですが、その基本にKnowledge Management(KM)があります。経営における「KM」とは従業員一人ひとりが持っている「知」の共有、「個人知」を「集団知」とする、という経営手法です。今から10年近く前にアメリカで注目され、日本の産業界に導入されました。

従業員個人個人が持っている技術ノウハウや情報を「組織全体の知識・情報・ノウハウ」としてゆこう、というコンセプトです。その個人が持っている知識や情報は単なる数字やデータといったものだけでなく、仕事上必要な技能や経験から積み重ねた作業ノウハウ、人間の勘まで、いわゆる暗黙知も含み、それを「見える化」することで作業効率を向上させてゆこうと考えたのです。

どんな会社でも業務内容は多義にわたります。総務・経理といった管理部門から営業、作業現場(工場)など持ち場によって発生する問題が違います。各部門の情報や知識、経験知を蓄積してマニュアル化してゆく。それがOptimization Companyの出発点となりました。

そこで私は社内の業務内容を5つの部門に分析してみました。経営的視点で会社全体の戦略を考える参謀本部的部署を「経営工房」とし、市場情報を収集、顧客と接し、市場動向を分析する営業部門を「市場工房」と名づけました。先端技術の情報収集や技術動向、そして最先端技術の導入、社員教育、現場研修は「技術工房」です。

実際の作業現場は「オペレーション工房」、製造業では生産工場にあたります。企業経営のために必要な管理部門を「厨房」と呼んでいます。そこで各工房毎に業務を「見える」ようにして、それを社内ウエブに載せ、Cyber Manual(CM)としました。社員なら誰でもどこでもいつでもCyber Manualを見ることができるようにウエブを進化させました。

そこではっきり効果があったことは、社員全員が会社の仕事の内容やノウハウを共有でき→社員が自分の担当以外の業務が理解できるようになり→仕事の多機能化を果たせるようになった→それが人件費の削減、技術研修期間の短縮、スピードアップとなり、社内業務全体の効率化、向上化を促進したということです。

売り上げは減っても利益は増えた。減収増益を実現することができたのです。2007年現在の試算ではOptimization 経営を導入した2001年に比べて6年間に収益で35倍となりました。もっとも2001年の時点で三技協の利益は小さい数字でしたから35倍という収益増はそれほど驚くに値しないかも知れません。

Cyber Manualの三技協における実際の運用は具体的に社内業務の改善と効率化に驚くべき効果を発揮したことは次号で明らかにします。


2007年10月09日

経営の最適化を考えるOptimization着想の源流⑥

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私はこれまでわが三技協という企業をOptimization Companyとして位置づけてきた基本的コンセプトについて話してきました。それは「個の知」を「集団知」に転換することであり、具体的には「見える化」を進めることが必要条件である、と言いました。

社員が個々に持っている経験知を会社全体のものにすることで仕事の質量ともに向上を図ることが可能になる。それは会社が持っている見えざる資産、英知の共有化です。例えば海外における工事の現場ということを想定してみてください。

日本ではなかなか海外の現地事情を理解するのは難しい。ところが現地に派遣された技術者が自分の体験をウエブに載せる。すると本社でも現地の事情や問題点、解決方法がよく分かります。現場で個人が体験するノウハウの蓄積と全社の共有化です。

写真を積極的に活用することで見える化をさらに促進できます。こうして情報を視覚的に共有することで業務のプロセスをはっきりさせることができますし、トラブルを未然に防ぐことができるようになりました。

工事現場における工具の選定とか材料の指定をウエブに載せることで、初心者も容易に分かるようになります。言ってみれば簡単なことですが、実際に導入するとなりますと結構、抵抗があります。Optimization経営を導入してみて良かったことを例示してみましょう。

従業員や従業員の近しい身内に不幸があった場合、皆さんの会社ではどうしていますか。多くの会社では総務があたふたと葬儀社に電話をかけ、葬儀のやり方を聞き、必要な事項を依頼、手配し、社内に告知します。ほとんどプロである葬儀社の言うがままとなります。

確かに従業員やその身内の不幸は日常、度々、起きることではありませんから多くの会社は緊急事態として葬儀社任せになってしまいます。ところが三技協では一度、従業員や身内の葬儀を経験するとその際、得た情報や手筈をファイル化してウエブに載せます。

それだけで次にそうした事態が起きても、いつ何時でも、どの部署の者でも社内のウエブにアクセスし、葬儀で必要事項などをファイルで確認し、間違いなく即座に手配することができるのです。そこでは総務の仕事はほとんど必要でなくなります。

三技協では社員の厚生をかねて毎年8月、横浜港で行われる夏の花火大会を全社で楽しむ「サンフェスタ」と呼んでいる花火パーティをホテルの1フロアを借り切って開いています。日ごろお世話になっている顧客会社や個人なども招待しています。

従業員とその家族が約600人、招待客を含めると総勢1000人となる大パーティです。大阪、札幌、福島、博多など全国6箇所をインターネットで繋いで、各会場で食事はもちろんエンターテイメントやビンゴ・ゲームで楽しい一夜です。ことしも8月1日、横浜グランドインターコンチネンタル・ホテルで開き、松沢成文神奈川県知事夫妻も来てくださいました。

この「サンフェスタ」を準備するのはイベント業者でも社内プロジェクトでもありません。担当者は若い社員、たった一人です。それでいてフェスタの内容は年々、充実してきました。ことしは中国の仮面早変わり舞踊の公演があり好評でした。

恐らくこのフェスタをイベント業者に頼んだら委託料だけで100~150万円を軽くオーバーするでしょう。なぜ、たった一人で準備ができたのか。それがOptimization Companyの所以です。担当者はウエブに載っているフェスタのページを見れば一目瞭然と仕事の手順、手筈がわかり、自分のアイディアを加味して準備するだけで大パーティの企画を進めることができたのです。

2007年10月15日

経営の最適化を考えるOptimization着想の源流⑦

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これまで述べてきました三技協におけるOptimization 経営の実践は、もちろん紆余曲折がありました。

私自身、試行錯誤の連続で、これといった決め手とか理論があったわけではありません。もう10年以上になりますか。アメリカでKnowledge Managementという言葉が新しい経営法として注目されました。耳にした方も多いと思います。

Knowledgeは言うまでも無く「知識」とか「熟知」という意味の英語です。Knowledge Managementの基本は、知識やノウハウを共有することで会社の持続的発展と創造性を育んでゆこうというものです。従業員が有するSkillを知的資産としてとらえ、それを全社の共通のKnowledgeとすることの重要性に多くの経営者が気づきました。

Skillは「熟練」であり「技能」であり、「能力」です。社員が持っている熟練の能力はその会社の知的資産なのです。かつて通産官僚から作家となり、経済企画庁長官をやった堺屋太一氏が21世紀を「知価社会」という言葉で表現しました。まさにKnowledge Managementはその知価を共有して、最適の経営をめざすものでした。

Optimization 経営はそのKnowledge Managementを土台として考えてきました。 21世紀におけるどの業でも悩みは全体最適と部分最適の調和です。Optimization 経営こそ、これからのグローバル時代の経営手法として有効だと私は確信しています。

この考え方を機会があるごとに世界中の日本企業の経営者に披露して来ました。そのつど、熱心な多くの質問とコメントが寄せられました。それらはおしなべて、非常に斬新な実践で面白いと思うが、それが今、即企業の経営に役立つかどうかはかなり検討を要するのではないか」というものでした。「確かに三技協では実現できた最適化経営かも知れませんね。それは大変すばらしいと思いますが、それが普遍的なものとしていろんな企業で導入可能なのかどうかは疑問です。一般に認知されるにはまだまだ研究が必要ではないですか」という指摘がありました。私も最もだと同意します。

そこで理解を深めるためにちょっと話を逸らせます。私はこの10月17日、Optimization 経営のコンセプトとその創造と変遷過程を1冊の本としてまとめ出版いたします。『社員の「1行報告」が会社を変える』というタイトルで、かんき出版から上梓したのです。23日頃には町の書店に並ぶでしょう。もちろんアマゾン・サイトでも購入できます。

この本は私の処女出版となりますが、「経営の最適化を考えるOptimization」という概念を分かりやすく解説した本です。もっとも私自身、理論の体系化が完成しているわけではありません。従ってこの本も暗中模索の結果を問う、といった内容といえるかも知れません。自分で書きながら納得できないことも少なくなかったのですが、ひとつの試金石と考え、出版に踏み切りました

2007年10月22日

経営の最適化を考えるOptimization着想の源流⑧

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出版された『社員の「1行報告」が会社を変える』(かんき出版)が世に受け入れられるかどうか未だ不明ですが、三技協で実現できたウエブによる情報管理やSkill, Knowledgeの共有化で2007年5月期決算は営業利益がCyber Manual導入時の35倍を実現できたのです。

正直に白状しますともともとOptimization 経営ということを考えた発想の源流は三技協の売り上げが年々、下降し、営業利益も落ち込んで赤字体質となっていたことに対する危機感でした。私が副社長となった1991年には3億4000万円の経常損失に転落しました。それでも古い役員は従来型を踏襲すればいいという安易な態度で、危機意識は希薄、鈍感でした。

あらゆる分野でデジタル化が進行し、通信技術の飛躍的進歩に対応してゆくには従来型の思考法ではダメだということが分かっているのですが、残念ながら社員の意識をどう変えてゆくか、大変難しい課題で悩みました。前にも書きましたが、企業経営で怖いのは「赤字」ではなくて「赤字を生む体質」なのです。

会社が赤字体質ではいくらみんなが頑張っても赤字は払拭できません。赤字体質からの脱却とはどうすればいいのか。真剣に考えました。当時、三技協グループ全体で700人の社員がいました。家族を含めると1000数百人の生活がかかっています。会社が倒産すれば社員は路頭に迷います。経営者なら誰でもぶつかる恐怖です。

しかし一言、「社員の意識を変える」と言ってみてもそれは容易ではありません。大変なことです。人間は自分のやっていることをすぐ変えることができません。仕事のやり方を変えるために発想を変えてみろ、と言ってもそれは難しい。ですから『社員の「1行報告」が会社を変える』というタイトルは「社員の『1行報告』が社員を変える」と言ってもいいかも知れません。

言うまでも無く通信の世界では革命的とも言うべき変化が90年代に進行しました。携帯電話のめざましい普及です。しかも通信の世界で規制緩和が同時進行しましたから電電公社の民営化(NTTという民間会社に変身した)と新しいベンチャー型の通信会社がつぎつぎと勃興、その会社同士が激しい競争を始めました。

三技協は通信インフラの構築、最適化、メンテナンスを受注するビジネスが中心です。この通信業界激変の荒波に直撃されました。携帯電話が普及するためには中継するアンテナと基地局を建て、そのアンテナから発する電波が携帯電話によく届くように現地で実験し、アンテナの位置や高さ、角度などを調整します。それが最適化という仕事です。新しくアンテナや基地局を建てる仕事を受注すれば当然、人手が要ります。新規に社員を採用して教育します。

その時は売り上げも上がりますから経営も上向きます。ところが携帯電話のためのインフラ構築がやがて飽和状態になってくると途端に受注は減ってきます。2001年とはそういう時代でした。社員は増やした。機材も設備投資もしたけど受注は減ってゆく。これでは赤字体質となるのは自然の理でした。

さて、そこからどう脱出して健全経営にしてゆくか。ここで「経営のOptimization」という発想が浮上するのです。社員に夢を与えられない経営者は失格です。社員に楽しく仕事をしてもらうには何をすればいいのか。私は考えに考えました。

2007年11月06日

経営の最適化を考えるOptimization着想の源流⑨

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<楽しくなければ面白くない。面白くなければ楽しくない。>

この言葉は経営者としての私のモットーにしています。自分自身だけでなく社員も役員も仕事をする会社の人間全員が楽しく仕事ができ、面白いと感じる職場にしたい。その熱い想いこそOptimization 経営の原点だと考えています。

前回このBlogで、社員の意識を変えるのはとても難しい、と書きました。意識を変えるにはどうしたらいいか。「仕事が面白くなる」には仕事が今までより速くでき、現場の負担が軽くなり、その挙句、給料が上がれば最高でしょう。「減収増益」という夢のようなことを考えて辿り着いたのがOptimization 経営でした。

モーバイル通信の普及で一番大切なことは言うまでも無く、携帯電話がいつでもどこでも繋がり、かつ雑音が入らずクリアに会話できることです。アンテナを建てると必ず発信電波と受信電波が正確に伝わるようにアンテナ等の現地調整を行います。それを通信業界で「最適化」と呼んでいます。

簡単なように聞こえるかもしれませんが、これを正確に遂行するにはかなりの技術と経験が必要になります。ちょっと専門的になりますが、現場の調整作業はアンテナのチルト(傾き)、送信機のパワー、ソフト・ハンドオフ(セルが変わる毎に周波数が切り替わる)などの調整を行います。

実際に車を走らせたり、いろんな建物や障害物を調べて、その付近で送受信を繰り返します。これは技術や知識だけでなく経験が重要になります。熟練者と初心者では最適化に大きく差が出てきますし、作業時間も全然違ってきます。

ところが熟練者作業のコツをウエブに載せて、初心者がいつでも学ぶことができれば早くその技術を身につける事ができる、と考えました。そこで社員が開発したのがCyber Manual(三技協では「CM」と呼んでいます)なのです。既述しましたとおり三技協のCMは1万ページを越えるまでに充実してきました。

このOptimization 経営のコンセプトと実践の記録を書いたのが『社員の「1行報告」が会社を変える』で、10月25日、書店に並びました。

2007年11月12日

No10-経営の最適化を考えるOptimization着想の源流10

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『社員の「1行報告」が会社を変える』(かんき出版)が10月25日に店頭にでました。「見える化のオプティマイゼーション経営」という副題がついています。宣伝パンフレットには<「赤字より怖い赤字体質」をいかに変革すべきか>というフレーズが目立ちます。

この本は私にとって処女出版ですからその反響がどうでるか、ちょっと不安のようで期待に溢れる複雑な気分でした。既述しましたが「赤字体質からの脱却」は三技協という会社が超えなければならない大きな障壁でした。そのためには社員一人ひとりの問題意識です。

これまで書いてきたとおり「Optimization 経営」というコンセプトは経営と会社の業務全体の「最適化」の実践です。それは社員の意識改革に他なりません。下請け会社という長年の企業体質を変えてゆきたいという私の悲願でした。そして仕事を「見える」ようにすることで少しづつ社内の空気の流れが変わってゆくことを実感することができました。

IT技術を駆使したCyber Manual(CM)を構築することで、一切の文書、報告、事故、問題点などをウエブで「見える」ようにした結果、社員自身が変わってゆくのが良く分かりました。自分の仕事、技術のレベルアップを計ろうとする気運が出てきたことが赤字体質からの脱却の大いなる第一歩でした。

言うまでもなく、そうした社内の意識改革についてゆけない人も決して少ないとは言えません。不本意ながら退社していった社員も何人かでました。一方で、時代の変わり目に素早く対応できるのは若い世代です。彼らは何の抵抗もなく、CMの導入とそれを使うことで日常業務をより正確、迅速にこなすことができるプラスの要素を自分のものとしていきました。

「ITベンチャーがもてはやされる今日にあって創業40年を超える企業の再生を賭けた男の記録である」というパンフレットのキャッチフレーズを面映い思いで読みながら発売1週間の経過を見ました。なんと横浜の有隣堂横浜西口店や川崎BE店で、週間(10月21日~27日)ベストセラー第二位に躍り出ました。

予想を超える反響に驚くと同時に私の経営理念が間違っていなかったという確信がどっしりと胸底に広がりました。この本は私の「Optimization 経営」の完成ではありません。あくまで試行錯誤の第一歩です。しかし初めての試みとしては肯定的な反応として受け止められたようです。嬉しさがこみ上げ、次のステップを真剣に模索し始めています。


2007年11月20日

No11 経営の最適化を考えるOptimization着想の源流11

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10月下旬に発売された『社員の「1行報告」が会社を変える』(かんき出版)が発売わずか2週間で再版となりました。横浜の有隣堂でベストセラー第二位となったことは前号の本欄で書いたとおりです。初めての出版という経験だけに感慨深いものがあります。

そして多くの方々から本を読んだ感想が手紙やe-mailで寄せられました。旧知の方々はもちろんですが、未知の方からも率直な感想をいただきました。その大半が、私が本書で強調しています「経営の見える化」について強い賛意、支持を表してくださいました。

このところ続いている企業の非行、スキャンダルが連日のようにマスコミを賑わせています。食品の原料表示を偽ったり、賞味期限を改竄したりして、それが報道されると決まって役員が記者会見で深々と頭を下げて謝罪する光景が日常茶飯事となっています。

しかも最近、目立つのは世間の信用が寄せられてきた老舗や名門企業で不祥事が次々と起きていることです。社員と経営者の間に「知識や情報の共有」ができていない結果が招いた事態ではないか。「経営の見える化」ができていないからだと思います。

私の本を読んだ方のメールに「これらの会社が『サイバーマニュアル』だけでも採用していたらこのような無様な事件は起こらなかったでしょう。起こりえなかったと言っても言い過ぎではないと思います」と書いてくださった方がいます。

また、本書を紹介する文章に「組織内の情報が共有されないことは企業生命にかかわる結果を招きます」「歴史のある大組織ほど過去の成功体験が染み付いていて、次の世代を左右するコンピューター活用が進んでいません」とありました。まさに正鵠を射た指摘です。

どんな経営者も私と同じように大きな壁にぶつかり、いろんな局面で悩み、模索していると思います。破局が来る前にその問題点を探り出し、企業内部に巣食う癌の病巣を切り落とす大手術をしなければなりません。それこそ本書で書いてきましたPBTなのです。

会社が抱える問題の所在を探し当て、解決策を「社員が見えるところ」で一緒に考える。現場が直面した問題を「1行の報告」としてサイバーマニュアルに載せることで、危機回避の具体的な方途が提案されるはずです。社員の声、視点が危機を発見し通報するのです。

今回の出版が多くの経営者の「見える化」の一助になればこんな嬉しいことはありません。一貫して「見える化」を実践してきた者として自戒をこめて記事を読んでいます。

2008年03月24日

No.23 経営の最適化を考えるOptimization  デジタル文明の始まり②

出版記念パーティが2月26日になったのは、その日しか会場が空いていなかった、という単純な理由ですが、72年前のこの日に革新派青年将校によるクーデタがありましたね。その226事件とは何の関係もありませんが、ただ歴史は予期しない展開を見せます。経営の最適化とはデジタル革命と切っても切り離せません。いわば経営革命なのです。

このパーティは私にとって忘れられない夜となりました。ことの是非は別として正義感に燃えた若い将校たちが政治家と財閥の癒着、腐敗や深刻な不況に手を拱いていた重臣を非難し激しく変革を求めたことは否定できない事実でしょう。今の日本もまた出口なしの不透明な状況でデジタル革命が音もなく急速に進行し、変革を求めているのです。

「地味にしてね」という私の気持ちを発起人や準備の人たちに話していたつもりですが、当日は予期しなかった人々から豪華な花輪がどっさり会場に届き、いやがうえにも華やいだ雰囲気に包まれました。ロス五輪で金メダルに輝いた山下泰裕さんからの花はお出でくださった方々によく見えるように会場入り口に飾りました。

三技協の社員も初めての体験に心もち緊張している様子でした。島田(晴雄・千葉商科大学学長。同期の誼で呼び捨てをお許しください)と話し込んでいるところへ参議院議長・江田五月さんがお見えになりました。国権の最高機関の長が顔を見せてくださったのには訳があります。

三技協の創業者、私の父が江田議長のお父さん、日本社会党を指導した江田三郎先生と昵懇でした。その縁で江田三郎先生は私の結婚式に顔を見せてくださり、来賓として祝辞をいただいたのです。そして昨年10月12日、東京のホテルで「江田三郎没後30年・生誕100年を記念する集い」が開かれたとき、私も参列させていただきました。

江田議長は島田に会うといきなり歓談を始めたのです。旧知の仲でした。人の縁と絆を改めて実感しました。この日、江田議長は外国要人の歓迎祝賀会が議長公邸で開かれそのホスト役なのに、秒を刻むような多忙な中、お祝いに駆けつけてくださったのは感激でした。パーティには165人が参加、会場は超満員となり、活気溢れ和やかな雰囲気で進行しました。

島田とは慶応高校時代、私の名「通泰(みちやす)」を「ツウタイ」と音読みにする仲です。同期の中では誰をも寄せ付けないダントツの秀才で、しかも冷静、観察力の鋭い男でした。絵を描かせば天才です。私は劣等生ながら不良仲間を率いて威張っていました。秀才と不良が結構仲良しで、その島田が発起人代表として挨拶してくれたのですが・・・。